真言宗総本山 東寺(教王護国寺) の歴史と建物

東寺

東寺は真言宗総本山の寺院の1つです。

そして真言宗の宗派の一つである『東寺真言宗』の総本山でもあります。

創建は平安時代で、国の鎮護を目的とし、天皇発願(ほつがん)により創建されました。

正式名称は教王護国寺(きょうおうごこくじ)といいます。

中世以降の東寺は、弘法大師に対する信仰の高まりにより「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになりました。

東寺を含む近隣一体の古刹は、1994年12月、『古都京都の文化財』として、ユネスコより世界遺産に登録されました。

この東寺やその伽藍の歴史をご紹介するとともに、現在の東寺についてもご紹介をしていきたいと思います。

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東寺の歴史

東寺の歴史は、平安時代からはじまります。

794年、第50代桓武天皇は平安遷都を敢行し、長岡から京都に都を移します。

平安京は、都の正門である羅生門から大内裏までまっすぐな朱雀大路がつくられました。

796年に、その大路を境とし、羅生門を挟む形で左右に東寺と西寺が建立されます。

この2つの寺院は、それぞれ国の東と西の王城鎮護を担う官寺(かんじ)でした。

官寺とは、国が費用などを支出して創建する天皇発願の寺院をいいます。

806年、空海は唐での修行を終え、中国密教の奥義を持って帰国します。

810年には東大寺別当を命じられるなど、仏教の布教活動を行っていきます。

823年、嵯峨天皇より東寺を下賜(かし)されます。

空海は、東寺の下賜にあたり、
“真言密教の根本道場とするため、他宗を排する”
という条件をだしたといいます。

それが嵯峨天皇に認められ、空海が東寺を預かることになり、現在まで続く真言宗総本山となったのです。

平安時代後期になってくると、東寺は一時衰退するものの、鎌倉時代になると弘法大師信仰の高まりとともに、『お大師様の寺』として皇族から庶民まで広く信仰されるようになります。

特に後白河法皇の皇女であった宣陽門院は、空海に深く帰依しました。

現在に続く『生身供』や『御影供』なども宣陽門院が創始したものなのです。

鎌倉時代末期から室町時代初期には後宇多天皇や後醍醐天皇、足利尊氏などからの援助を受けさらに栄ました。

しかしながら、1486年に発生した土一揆による火災により、主要な伽藍のほとんどが焼失してしまいます。

その後、豊臣家や徳川家からの寄進などもあり金堂や五重塔が再建され、その後何度かの火災に襲われながら、現在に至る伽藍が造成されたのでした。

この伽藍の配置や、建物の規模は創建期と同じとなっています。

1934年3月13日には史跡に指定され、1994年12月には世界遺産に登録され今に至ります。

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東寺の建物と歴史

東寺の伽藍は、平安時代に創建されました。

境内の中央部分では、縦一列に「金堂」、「講堂」、「食堂」が縦一列に配置されています。

中心の建物から左側には、「小子房」「御影堂」「大日堂」が並び、食堂の右側の瓢箪池を挟み南側には「五重塔」北側に「宝蔵」が立ち並びます。

それぞれの建物の歴史、また収蔵されている仏像についてご説明します。

金堂(こんどう)

金堂は、平安遷都とともに建立された東寺の本堂です。

796年の東寺創建時に最初に建てられたのが、金堂でした。

最初の金堂は、創建から約700年近く、その姿を残していました。

しかし、1486年に発生した土一揆にて焼失してしまい、100年以上再建されることがありませんでした。

現在の金堂は、豊臣秀頼からの寄進によって再建されます。

落慶は、関ヶ原の合戦後の1603年になりました。

現在の建物は、東寺の中国の国である宋の様式を取り入れた天竺様と和様が合わさった安土・桃山時代の建物として、代表的なものに挙げられています。

金堂は、外見が2階建てに見える構造が特徴です。

ですが、この屋根との間にある下屋根は、裳階(もこし)と呼ばれるひさし的な役割をする装飾であり、実際は一階建ての建物となっています。

本尊は、薬師如来で、右側に日光菩薩、左側に月光(がっこう)菩薩を配した薬師三尊像となっています。

薬師如来は、あらゆる病気から人々を救ってくださる仏様です。

桓武天皇は、人々が安寧かつ幸せにあってほしいと願い本堂の本尊としたのかもしれません。

この薬師如来像は、光背に七体の化仏(けぶつ)を配しており、七仏薬師如来といわれています。

その台座部分には、如来を守り如来の願いを成就する働きをもつ十二神将が並んでいます。

像高は2.88mあり、台座と光背を含めると10mもの高さです。

薬師如来像としては、日本で最大の大きさとなっています。

本尊の三体についても1486年に焼失しました。

現存するものは、桃山時代の仏師である康正(こうしょう)により1603年に作られたものです。

いずれも国の重要文化財に指定されています。

金堂は、1897年12月に重要文化財に指定を受け、1953年3月に国宝に指定されています。

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講堂

空海が嵯峨天皇より東寺を授けられた際には、既に金堂は出来ていたと云われています。

空海は東寺を下賜されたのち密教寺院として教えを伝えるための中心的な建物と位置づけし、講堂を創建します。

創建時の講堂は、823年に工事が始まり、それから16年後の839年に講堂は完成しました。

創建時の講堂も金堂と一緒に焼失してしまいます。

金堂は桃山時代より、南大門が江戸時代より再建が始まったものの、講堂は最優先とされ、1491年に再建されました。

この時に再建された講堂が、現存する講堂となっています。

講堂には、羯磨(かつま)曼荼羅と呼ばれる、曼荼羅をよりリアルに伝える具現化したものが作られました。

21体の仏像が大日如来を中心として配置されています。

中心部は如来部で五智(ごち)如来と呼ばれる5体の如来が配置されています。
大日如来を中心とし、北西に不空成就如来、南西に阿弥陀如来、南東に宝生如来、北東に阿閦如来という配置になっています。

大日如来は像高が285cmとなっており1497年に再興されました。

残りの4如来は130cm~140cmとなっており、江戸時代に再興されています。

全て重要文化財指定です。

如来部の右側(東側)は菩薩部になっています。

菩薩部の中尊には金剛波羅蜜(はらみつ)菩薩が配置されており、北西に金剛業菩薩、南西に金剛法菩薩、南東に金剛宝菩薩、北東に金剛薩埵(さった)菩薩が配置されています。

中尊の金剛波羅蜜菩薩は197cmあり、残りの4菩薩は93cm~95cmとなっています。

金剛波羅蜜像は江戸時代再興ですが、それ以外の4体は当初像となっています。

如来部の左側(西側)は明王部です。

明王部は、不動明王像が中尊となっており北西に、大威徳(だいいとく)明王、南西に軍荼利(ぐんだり)明王、南東に降三世(ごうざんぜ)明王、北東に金剛夜叉明王が配置されています。

これらの明王像は、五体全てが講堂創建時の像となっており、全て国宝指定となっています。

これらのエリアの四隅と東西が天部になります。

四隅には四天王が配置され、四方を守護します。

北西には広目天、南西には増長天、南東には持国天、北東には多聞天が配置されています。

四体とも当初像で高さは164cmから187cmとなっています。

また、東端には梵天(ぼんてん)、西端には帝釈天(たいしゃくてん)が配置されています。

この二体の像は約100cmの大きさで、当初像となっています。

これらの六体は、全て国宝に指定されています。

講堂は1940年10月に重要文化財として指定されています。

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食堂

食堂は、僧侶が生活の中に修行を見いだす場として作られる建物で、僧侶の生活拠点といえる建物です。

現在は、東寺の納経所となっており、かつての主要伽藍の一つでした。

東寺の境内では、南から北に向かい、金堂、講堂、食堂とまっすぐに連続で並んで建立されています。

この並びは、仏法僧を表していると言われています。

金堂には、本尊である「仏」があり、講堂には密教の教えである「法」、食堂には「僧」という関係性です。

空海が没したのちの平安時代に建立されたものの、1596年に地震で倒壊しました。

その後、再建された建物も昭和5年に発生した火災で焼失、それから3年後の昭和8年に現在の食堂が完成しました。

この食堂の中には納経所があり、多くの巡礼者の祈りの場ともなっています。

東寺が真言宗総本山の一つであるため、四国八十八ヶ所巡礼や洛陽三十三観音霊場などの納経所にもなっています。

また、毎月21日には、四国八十八ヶ所巡礼を再現しているお砂踏みが行われています。

創建当時は、千手観音菩薩が本尊として安置されていました。

その周囲を持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が護っていました。

明治時代には国宝として指定を受けましたが、昭和5年の火災で焼損してしまいます。

これにより、千手観音菩薩は、修復されて宝物館に安置されました。

四天王も焼損したものの修復され、新たに安置された本尊である明珍恒男氏作の十一面観音菩薩を守護しています。

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五重塔

東寺の五重塔は、全長54.8mと、木造建築物としては、日本一の高さを誇る建物です。

空海が講堂完成後の826年に着手した建造物で、空海が自ら奔走した大工事だったと伝わっています。

完成は、空海存命中にはかなわず、没してから約50年後に創建されました。

五重塔は、火災により焼失を何度かしています。

最初の火災は1055年の雷によるもので、1635年の焼失まで併せて4度焼失しました。

現在の五重塔は1643年に徳川家光が復興に着手し再建された5代目の塔になります。

塔の内部は非公開になっており、通常拝観はできません。

その初層内部は、極彩色で彩られた密教空間となっています。

五重塔の中心の柱である心柱は大日如来、その周囲を如来・菩薩が囲んでいます。

東面には阿閦如来・弥勒菩薩・金剛蔵菩薩、西面には阿弥陀如来・文殊菩薩・観音菩薩、北面には、不空成就如来・普賢菩薩・地蔵菩薩、南面には宝生如来・除蓋障菩薩・虚空蔵菩薩が安置されています。

四方の柱には、金剛界曼荼羅が描かれています。

また、紙面の側柱には八大龍王、壁には真言八祖像が描かれており、空海によって真言の教えが伝えられた歴史を表していると云われています。

1897年には重要文化財に指定され、1952年11月には国宝に指定されています。

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御影堂(大師堂)

御影堂は、大伽藍の立ち並ぶ境内の北西側にある西院とも呼ばれる別院の建物です。

空海が造営の指揮をとったり、講堂の立体曼荼羅を構想したりした場所でした。

そのため、大師堂とも呼ばれています。

現在の建物は、1380年の室町前期に再建されたものとなっています。

御影堂の建物は、前堂、中門、後堂の3つの建物で構成されており、前堂は1380年の再建後の1390年に作られた建物になっています。

御影堂では、弘法大師空海の生身供が毎朝6時から行われます。

この時間から閉門まで、お参りすることができるようになっています。

前堂には国宝の弘法大師坐像や愛染明王が安置されており、後堂には秘仏不動明王が安置されています。

御影堂は1898年12月に重要文化財に指定されており、1958年に国宝指定されています。

大日堂

大日堂は、江戸時代に御影堂の礼拝所だった建物です。

その後には、桓武天皇をはじめ、嵯峨天皇、足利尊氏などの位牌を納める尊牌堂となります。

そして、本尊に大日如来を安置したことで、大日堂となりました。

この像は、胎蔵界大日如来坐像と呼ばれ、平安時代に作られたものとなっています。

大日堂は、先祖供養の回向所となっています。

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鎮守八幡宮

鎮守八幡宮は、796年の東寺創建に際し、王城鎮護を願って祀られました。

空海が一本の霊木より彫ったとされる国内最古の神像が安置されています。

この像は僧形八幡神像と女神像二尊が安置されています。

810年に発生した薬子の変では、空海により嵯峨天皇の必勝祈願が行われました。

また、この際の戦勝祈願が後世に伝わり、南北朝時代には足利尊氏も祈願に訪れました。

1868年に南大門などとともに焼失してしまいます。

それから100年以上再建されることがなかったものの、現在の八幡宮は1992年に再建されました。

宝蔵

宝蔵は国宝となっている密教法具や両界曼荼羅(りょうかいまんだら)、犍陀穀糸袈裟(けんだこくしのけさ)、仏舎利、五大尊など数多くの寺宝を納めていた建物です。

東寺創建時には南北に2棟あったとされ、現在は1棟のみが残されています。

防災対策として、火事による延焼を防ぐために周囲は掘りで囲まれています。

現存の宝蔵は、東寺に残る最古の建造物で、平安後期建立の校倉造りとなっています。

1000年と1126年に2度焼失しているといわれており、現存する建物は1184年から1198年に再建されたものと云われているものの、解体修理の結果、東寺創建時に近い建造物と考えられています。

構造面では、平安時代の代表的な建物の一つである平等院鳳凰堂と同じ扉の取り付け方法となっています。

現在使われている瓦の多くも平安時代に作られたものです。

床板はとても大きな建物の扉が転用されており、金堂の扉や羅生門の扉が使われたのではないかと云われています。

現在は、温度管理の観点から新設された宝物館に貴重な宝物は移されています。

建物の宝蔵は、1925年4月に国の重要文化財に指定されています。

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小子房

現在の小子房は天皇を迎え入れる特別な建物です。

現在の建物は、弘法大師空海の千百年御遠忌にあたる1934年に再建されました。

昭和を代表する建築物の一つとされ、総木曾檜造でできています。

内部は6室で構成されています。

「牡丹の間」「瓜の間」「枇杷の間」「鷲の間」「雛鶏の間」には水墨画が描かれており、「勅使の間」には、金色の地に極彩色で「渓流に鶴」と「日輪三嶽図」が描かれています。

この小子房ですが、南北朝時代には、足利尊氏が光厳上皇を奉じて都入りした際に、洛中の戦いが治まるまでの間、御所として活用していた場所です。

この小子房の西側には、蓮華門と呼ばれる門があります。

空海が晩年、東寺から高野山へと向かう際、この西門から出立しました。

この門から旅立つ際、多くの人々が送り出したのですが、御影堂の後堂に祀られていた不動明王がこの門に現れ、空海を見送ったといわれています。

この不動明王の足元や歩いてきた跡に蓮華が咲いたといわれ、それに因み、この門を蓮華門と呼ぶようになったと伝わっています。

蓮華門は1902年4月に重要文化財指定を受けており、1952年11月に国宝に指定されています。

宝物館

宝物館は、東寺の宝物を納めるために造られた建物です。

1965年に開館されました。

2階には常設の彫刻展示の部屋があり、食堂に安置されていて火災に巻き込まれた千手観音像は復元修復され、常設展示されています。

また、もともと平安京入口の羅生門の楼上に祀られていた兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)も保存されています。

年中拝観可能な施設ではなく、開館は春と秋の一定期間のみとなっています。

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観智院

観智院は、1359年に杲宝によって創建された塔頭の1つです。

杲宝は、東寺の三宝と呼ばれる頼宝、杲宝、賢宝の三人のうちの一人です。

杲宝が創建し、弟子の賢宝が本尊である五大虚空蔵菩薩を本尊として安置しました。

真言密教の経典が数多く所蔵されており、「真言宗の勧学院」ともいわれる塔頭です。

安土桃山時代の1596年に発生した地震によって、観智院は一度全壊してしまいます。

1605年には客殿が再建され、それ以降観智院の建物は復興していきました。

この再建後の客殿に、宮本武蔵が一条寺下り松の決闘の後に身を隠しました。

その際にふすまに書いた鷲の図や竹林の図が、今も残されています。

本堂は客殿の東側に位置します。

現存する建物は、客殿の復興後に再建されました。

本堂の中は、部屋の横幅いっぱいに五大構造菩薩像がならんでいます。

また、愛染明王像も別の部屋に鎮座されております。

宝菩提院

法菩提院は、1279年に創建された当時の塔頭の1つで、別格の子院です。

第三長者だった亮禅が開創しました。

当初は櫛箪笥小路を挟んで観智院と向かい合わせに建っていたのでしたが、1881年に洛南高校の開学に伴い、観智院の北側に移転しました。

表門を入ると正面に本堂、左手に庫裏、右手前に地蔵菩薩像が祀られています。

本堂には、中央に弘法大師像、左側に大日如来、右に阿弥陀如来の3体が安置されています。

現在は、本堂の内部は非公開となっています。

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東寺の御朱印

東寺で頂ける御朱印は通常時で9種類となっています。

夜間特別参拝時では、9種類以外で限定御朱印をいただけます。

授与いただけるのは、食堂にある納経所となります。

料金は、一律で300円です。

希望すればいくつでも授与していただけますが、時間によっては1つしかいただけない場合もあります。

対応していただける時間は、午前8時から午後5時までとなっています。

受付終了は午後4時30分までですので、それまでには頂きに伺うようにしましょう。

東寺の拝観料・拝観時間

東寺の開門時間は朝5時、通常は午後5時で閉門されます。

閉門時間は、夜間の特別参拝が行われる場合に変更される場合があります。

門の開閉時間とは別に、建物を拝観できる時間は別に定められています。

境内への入場、御影堂・食堂などの拝観は無料となっています。

金堂・講堂・五重塔初層内部、宝物館、観智院は有料で、季節によって料金が異なります。

特に五重塔初層内部は通年での一般公開ではなく、特別公開制ですので、公開時期は確認して参拝するようにしましょう。

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東寺へのアクセス方法

東寺は京都駅南西約500mに位置しており、京都駅を拠点として参拝することが可能です。

道路距離では約1kmですので、徒歩での参拝が可能なほか、バスやタクシーなど、いろいろな手段が利用できます。

徒歩の場合、JR、近鉄が乗り入れる京都駅からで約15分、近鉄東寺駅からは7分程度。

京都市営バスを利用する場合、市バス16、19、42、78、205、206と6つの系統のバスを利用することができます。

最寄りバス停は、東寺東門前、東寺西門前、九条大宮の3つが利用できます。

京都駅からで約20分ほどになります。

タクシーの場合、交通事情に左右されますが、約4分で到着。

料金は1,000円程度になります。

マイカーで参拝した場合、東寺の専用駐車場を利用することができます。

普通車50台程度が駐車可能です。

利用時間は、9月20日~翌3月19日までは午前9時から午後4時まで、それ以外の期間は午前9時から午後5時までとなっています。

料金は2時間で600円です。

周辺は京都駅に近いこともあり、大きく整備された駐車場はありません。

2~3台程度しか駐車できないコインパーキングがほとんどです。

そのことからも、マイカーでの参拝は、駐車場探しで苦労します。

特に、毎月21日に開催される弘法市の際は、駐車場の確保は大変むずかしいですので、注意しておく必要があります。

まとめ

京都駅すぐ近く、平安時代から今に伝わる真言宗の総本山。

我が国最初の密教寺院として、今の時代に弘法大師空海の意思が伝えられています。

御影堂で今も毎日続く生身供ですが、弘法大師に接することができる伽藍です。

真言密教の総本山で、平安時代から続く歴史ある伽藍や、空海の教えに接してみてはいかがでしょうか。

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