西郷星 明治10年

西郷星

幕末から明治にかけての日本の歴史は、短い期間なのに流れが非常に早く、文字通り激動の時代でした。

数々の英雄が活躍しましたが、中でも民衆から人気が高かったのは西郷隆盛です。彼がいなければ明治維新は成し得なかったでしょう。

西郷隆盛が何をした人なのかと言うと、簡単に言ってしまえば「薩摩藩の代表として長州藩と薩長同盟を結んで仲直りし、江戸幕府代表の勝海舟と話し合いをして江戸城無血開城に導いた人」です。

明治維新後は明治政府の中でも重要なポジションに就きますが、朝鮮をめぐる問題で大久保利通らと対立し、政府の仕事を辞職して鹿児島に帰ります。
そこで政府に対して不満を募らせていた若者たちと共に西南戦争を起こしますが、敗北し自刃しました(明治10年9月)。

人気の高い人物だったため、様々な噂話が当時から囁かれていましたが、その中でも異彩を放つのは『明治10年の西郷星』の話です。

この『西郷星』についてお話していきましょう。

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1)「星の中に西郷さんがいる!」と民衆の間で大騒ぎ

『西郷星』が話題になったのは、西郷隆盛が自刃する1か月前の8月です。当時の事を記した新聞には、

”最近、夜中の2時くらいに赤い星が見える。望遠鏡でよく見てみると、星の中に西郷隆盛が陸軍大将の制服を着ている姿が見える。銀座や日本橋では人々が集まってよく話題にしている。”

とあります。

「お月様の中にうさぎさんが見える」というのと同じレベルとお考えください。

当時、西郷隆盛は鹿児島で戦争をしていましたが、その様子は新聞で東京にまで伝わっていました。明治10年の冬から始まった西南戦争は、8月になると西郷軍の旗色がかなり悪くなってきていました。

星に人が浮かびあがる……というと少し不吉な印象もありますが、当時は「西郷さんが見える!頑張れ!政府に負けないで!」とポジティブな見方をされていたようです。

その一方で、「最期」と「西郷」をもじって『最期星』なんて呼ばれ方もしました。この赤い星が見え始めてから、民衆の間での西郷隆盛人気はさらに高まり、絵草子や錦絵が流行しました。

そして9月24日、西郷隆盛が自刃すると「西郷さんは星になってしまった!」と民衆は星を見上げて彼の死を悼みました。

2)『西郷星』の正体、実は火星だった

では『西郷星』とはいったい何だったのでしょうか。

実はこれ、火星だったのです。この年は偶然にも火星が地球に大接近した年でした。

皆さんご存知の通り、地球も火星も太陽の周りをぐるぐる回っています。

地球は一年間で一周しますが、火星は地球の一つ外側を回っていますので、一周するのにもっと時間がかかります。そうやって回り続けていると、2年2ヵ月のタイミングで地球と火星は接近することになるのです。接近するタイミングはそれくらいですが、もっと近い距離の接近は10年から15年前後毎になります。

明治10年(1877年)の火星大接近は火星観測の記念すべき年でもあります。

アメリカの天文学者ホールが「フォボス」「ダイモス」の2つの衛星を発見。またイタリアの天文学者スキャバレリによって火星図が作られました。

海外では天文学の研究が進んでおり、その知識は当然日本にも入ってきていましたが、一般人にまで火星の知識が浸透しているわけではありませんでしたので、日本の民衆は火星だとも知らずに「西郷さんが星になった」と大騒ぎをしていたのです。

自刃してから2か月後の11月になっても騒いでいたので、「あれは急接近した火星です。珍しい事ではありません」と書かれた新聞まで出される始末でした。

おわりに

明治10年の『西郷星』についてお話してきましたが、いかがでしたか?

若者をまとめて導き、明治維新を成し遂げた西郷隆盛は当時の日本国民にとってカリスマ的存在でした。その人気が『西郷星』を生み出したのかもしれません。

ちなみに2018年の大河ドラマは『西郷どん』、主人公はその名の通り西郷隆盛です。これまで坂本龍馬や新撰組といった幕末を舞台にした大河ドラマはありましたが、意外なことに西郷隆盛はこれが初主役です。

この大河ドラマには『西郷星』は登場するのでしょうか。期待が高まります。

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