京都散策 おすすめコース 洛西の寺社と桂離宮観光
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京都散策 おすすめコース 洛西の寺社と桂離宮の魅力
洛西とは京都市西部のことだ。「洛」とは平安京が造営された時に中央の朱雀大路、現在の千本通りを中心に西側を「長安城」、東側を「洛陽城」と中国風に名付けたことに由来する。朱雀大路より西側の長安城はいつしか人家が減り荒れてしまったので、誰も「長安城」という言葉を使わなくなり、都そのものを洛陽と呼ぶようになり、転じて洛中、洛外、上洛、離洛という言葉が使われるようになった。
同時に平安時代後期には「洛陽城」地域は東側に広がり、東山のふもとまで都が広がった。これらの理由で都を洛陽と呼ぶようになったと考えられる。
また「都」という言葉を使うより「洛」という言葉を使う方が好まれた理由は判然としないが、直接的な表現を避けたのかもしれない。洛西は元の長安城のさらに西の地域であるが、現在では「洛西」という表現がなじんでいる。この地域には落ち着いた古刹古社が多い。また日本が世界に誇る庭園美の桂離宮もこの地域だ。松尾大社(まつのおたいしゃ)、梅宮大社(うめのみやたいしゃ)、月読神社(つきよみじんじゃ)、華厳寺(けごんじ)(通称鈴虫寺(すずむしでら))、地蔵院、西芳寺(さいほうじ)(通称苔寺(こけでら))、そして桂離宮。さらに足を伸ばして乙訓寺、長岡天満宮、光明寺などゆっくり鑑賞しながら巡ってみてはいかがだろう。ただし桂離宮と西芳寺の拝観には事前の申し込みが必要なので、日程が決まったらすぐに確認することをお忘れなく。
松尾大社
京都のメインストリート四条通りを真っすぐ東へ進むと祇園祭で有名な八坂神社だ。では真っすぐ西に進むとどこか?松尾大社だ。実は四条通りの両端に向かい合うように八坂神社と松尾大社はご鎮座しているのだ。
松尾大社。創建は大宝元年(701)、平安京が造営される前に渡来人秦氏(はたうじ)が創建した古社だ。平安遷都後には「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称された。歴代天皇の行幸も多く、古くから信仰されていたことが分かる。酒の神としても信仰を集め境内の「亀の井」の水を醸造の時に混ぜると酒が腐らないと伝わる。境内には全国の酒造メーカが奉納した酒樽がずらりと並んでいるのは壮観だ。社殿は両流造という珍しい形式で重要文化財。境内の庭園は昭和の名作庭家重森三玲(しげもりみれい)の晩年の代表作。
「神像館」では極めて古い神像彫刻の作風を伝える男神、女神像の他18体の神像が安置されている。仏像とは違う作風をじっくり味わえる貴重な空間だ。阪急嵐山線松尾大社駅から徒歩3分。拝観料は庭園・神像館共通で500円。
梅宮大社
松尾大社から東に向かい徒歩5分、松尾橋を渡ると四条通りに面して梅宮大社(うめのみやたいしゃ)が見えてくる。こちらも平安遷都以前からご鎮座する古社だ。桓武天皇の息子嵯峨天皇の檀林皇后(だんりんこうごう)は皇子に恵まれなかったが、梅宮大社に祈願して仁明天皇を授かったことから子宝と安産のご利益で有名だ。「跨げ石」は檀林皇后がまたいだとされ血脈相続の石として大切にされている。またご祭神に酒解神(さかとけのかみ)と酒解子神(さかとけこのかみ)を祀っていることから松尾大社同様に酒造に関わる人々からの信仰も篤い。
3月第一日曜日には「梅・産祭(うめうめまつり)」が開催され、境内神苑で採取された梅を加工したジュースが振舞われ多くの人々で賑わう。また近年は高名な動物写真家が梅宮大社に生息する猫の作品を数多く発表し「猫のいる神社」としても有名だ。百人一首の「夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く」の歌碑も建っている。この和歌は和歌、漢詩、管弦のいわゆる三船の才に恵まれた大納言源経信の作でこの地で詠んだと伝わる。
月読神社
さて今一度松尾大社にもどり、山裾に沿って南へ進もう。のどかな田園風景が広がる。
500㍍ほどで月読神社だ。ご祭神は月読尊(つきよみのこと)とされ、太陽を司る天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟で月を司る神である。現在は松尾大社の境外摂社(けいがいせっしゃ)となっている。境外摂社とは自治体でいうところの「飛び地」にあたり、場所は離れているけれどもおなじ神社ということだ。創建は顕宗天皇3年というから西暦478年、もはや神話の時代である。古くから疱瘡と安産の神として信仰されている。本殿に向かって右にある「月延石(つきのべいし)」は安産石の名で知られる。
華厳寺
月読神社からさらに山裾に沿って500㍍ほど南へ進むと華厳寺だ。通称の鈴虫寺の方がすっかり有名になってしまったが、大日如来をご本尊とする臨済宗のお寺だ。寺内には一年中鈴虫が鳴いていることでも有名。ご住職のご法話も人気があり、参詣に訪れる女性が後を絶たない。もう一つ人気なのは「幸福地蔵」という草鞋を履いたお地蔵様。一つだけ願いごとをすると叶えてくれるという。日本全国どこへでも出向くため草鞋をはいているとか。境内は竹林や楓が多く、自然豊かな風景を楽しめる。拝観料は煎茶とお菓子付きで500円。
西芳寺(苔寺)
華厳寺から徒歩で数分山に向かって進むと世界遺産西芳寺(さいほうじ)だ。通称は苔寺(こけでら)。こちらの拝観には事前の申し込みが必要なので、日程が決まったらまず公式ホームページを確認しよう。
参観希望日の二か月前から往復はがきで申し込める。さてこちらはその名の通り苔の庭が美しいことで世界的にも有名だ。かの銀閣寺もここの庭園をモデルに作庭したと伝わるほどだ。うっそうとした木々や黄金池を中心とした池泉回遊式庭園も素晴らしいが、同時に枯山水庭園も見事だ。
この二種類の庭園美を同時に楽しめるのが苔寺の大きな特徴だろう。苔の生育には程よい水分と日陰が必要だが、何より大切なのは日々の手入れだろう。この美しさを保つ努力が数百年も続いていることに感服する。
写経と庭園拝観で参拝冥加料として3000円以上を納めること。京都の他の寺院に比べると高額だと感じるだろうが、その価値は確かにある。
地蔵院(竹の寺)
西芳寺から徒歩でさらに数分南へ進むと地蔵院だ。別名を竹の寺、または谷の地蔵とも呼ばれる臨済宗のお寺だ。ここは「一休誕生の寺」だ。とんちで有名な一休さんは誰でも知っているだろう。
一休さんは後小松天皇の皇子だが、母親の身分が低いため自らご縁のあるこの地蔵院に身を寄せて出産したという。幼名は千菊丸というそうだ。千菊丸は6歳までここで母と過ごしたのだとか。後の高僧一休宗(純(そうじゅん)も拝んだお地蔵様は伝教大師最澄(さいちょう)が作ったとされ、延命安産のお地蔵様として篤く信仰されている。
境内は苔が美しく、また「十六羅漢の庭」と呼ばれる枯山水庭園もある。何より竹の寺と呼ばれるだけのことはあり、青々とした竹に囲まれ別世界に迷い込んだように感じる人も多いだろう。拝観料500円。
桂離宮
次に桂離宮(かつらりきゅう)をご紹介しよう。江戸時代初期に八条宮家の初代智仁親王と二代智忠親王親子によって約50年間、三回の造営によって完成し、江戸時代の代表的山荘として名高い。池の周りに数々の書院や茶室が配され、回遊できるようになっている。
昭和になりドイツの著名な建築家ブルーノ・タウトが「日本建築の世界的奇跡」と絶賛し世界的にも知られるようになった。源氏物語の風景を取り入れるなど王朝の詩情の再現に力を注いだ名園である。
現在宮内庁の所管なので拝観には申し込みが必要。2018年10月までは無料で参観できるが、2018年11月1日からは1人1000円の参観料かかかることになった。併せてそれまで18歳以上という制限も中学生以上となったが中・高生は無料で参観できる。
大原野神社
大原野神社をご存じだろうか?三千院で有名な大原ではなく洛西にある古社だ。平安京の前の長岡京に遷都した延暦3(784)年に創建されたと伝わる。平安時代に権勢を誇った藤原氏の崇敬を集め藤原氏の氏神として信仰された。歌人大伴家持が愛飲したという「瀬和井の清水」と呼ばれる名水は和歌にも詠まれ、現在も参道にある。境内は自由に参拝できる。
乙訓寺
さてここから京都市を出て隣接する長岡京市に向おう。平安京の前わずか10年間だが都が置かれた所だ。
乙訓寺(おとくにでら)は平安京造営の再に謀反の疑いをかけられた早良の親王(桓武天皇の弟)が幽閉された所として知られる。春には牡丹の花が咲き乱れ美しさに息を飲む。ご本尊の合体大師は弘法大使と八幡神の合体とされる珍しいもの。普段は秘仏で拝むことができないのが残念。拝観料500円。
長岡天満宮
長岡天満宮は阪急京都線長岡天神駅から徒歩10分。ご祭神は菅原道真。道真が太宰府に左遷されるときにここに立ち寄り名残を惜しんだと伝わる。道真の死後家臣たちが聖廟を建てたことに始まるとされる。八条ケ池の周囲に長岡名産の筍料理の店が軒を並べる。キリシマツツジの名所としてもしられる。ご利益は学問と諸芸の上達。境内は自由に参拝できる。
光明寺
では最後に光明寺(こうみょうじ)を紹介しよう。京都府には綾部市にも光明寺がありこちらは「粟生光明寺」(あおこうみょうじ)と呼ばれる。西山浄土宗の総本山で、本堂には法然上人自作という「張り子の御影」を祀る。法然亡き後弟子たちが遺骸をこの地に移して荼毘に付し、遺骨をご本廟に祀った。「浄土門根元地」として信仰を集めている。秋には紅葉のトンネルができ、紅葉スポットとしても名高い。新緑の季節の青もみじも輝くばかりに美しい。紅葉の季節には入山料500円。それ以外の季節なら境内は自由に参拝できる。
洛西の寺社は派手さがないが歴史と趣のあるしっとりとした所が多い。たっぷり時間をかけて拝観することをお勧めする。