大阪万博の雑学あれこれ

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大阪万博

1970年、日本初の万博博覧会が大阪で開催されました。3月から約半年間に渡って開かれ、6400万人が来場した20世紀最初で最後の大型イベントでした。オリンピックやサッカーのW杯、野球のWBCなども世界中で盛り上がるイベントですが、来場者数だけに注目してみても桁違いです。

さて、この大阪万博はアポロ11号が持ち帰った「月の石」や、芸術家の岡本太郎氏によって作られた「太陽の塔」が印象深く、教科書の中でしか万博を知らない若い人たちでも、その二つだけは知っているという声もあります。

今回は、敗戦から復興を遂げた日本の集大成とも言える大阪万博の、ちょっと意外な雑学を5点ご紹介しましょう。

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1)大阪万博の地鎮祭はヘリコプターからおこなった!

万博の会場は大阪府吹田市でしたが、開催の3年前に会場作りが始まりました。工事に先立ち、まずは土地を清めなければなりませんのでお祓いなどの神事が執り行われます。

楽人(がくにん)5名、巫女4名で神楽を舞い、伊勢神宮から来た9名の神官によって地鎮祭がおこなわれましたが、会場が甲子園球場83個分とあまりにも広大でしたので一般的な地鎮祭の段取りではお祓いが間に合いません。

そこで、この広い土地すべてにお祓いをするため、ヘリコプターに乗って上空からお祓いをするという異例の処置がされました。神官がヘリコプターに乗り、空から清めの塩を撒き、同時に兵庫県の小学生が作った千羽鶴も撒いて儀式は終了しました。

この地鎮祭を目撃した外国人は、なんとも奇妙な光景に「ありゃなんだ……」と不思議に思ったそうです。

2)大阪万博見たさでトラブルを起こす子供たち!

日本の人口の約半分を動員した大阪万博は、当時の子供たちにとって憧れでした。期間限定で次はいつ日本で開催できるか分からないものですので、地方に住む子供たたちは「絶対に万博に行くんだ!」と必死です。そんな子供たちが、万博見たさで事件を起こすこともありました。

ひとつは北海道帯広市から2人の小学生が家出してきた事件です。近所に住む2人は、どうしても万博を見物したくて3月19日の朝に帯広駅を出発し、青森から無賃乗車して大阪までやって来ました。3月21日の昼頃に万博中央口駅でウロウロしているところを保護されました。

ふたつ目は広島県因島で起きた事件です。9月4日早朝、因島市の福祉協議会売店にナイフを持った男2人が押し入り、年配の男女から6,000円を奪って逃走しました。約二時間後、警察が現場から2キロ離れたところで愛媛県の男子中学生2人を逮捕し事件は解決しました。少年は両親に「よど号事件のようなすごい事をしたい。日本を背負えるすごい男になって帰ってきます」などと手紙を書いていましたが、警察の調べに対して「大阪万博に行きたかったけど、金が無くて強盗しました」と白状したとか。なんとも迷惑な話ですね。

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3)一番人気のパビリオンはアメリカ!だけど意外なところも大人気……

万博では各国がパビリオンという建物の中に、自国の技術などを盛り込んだ個性的な展示をします。たくさんの国々が万博に参加していましたが、中でも一番人気があったのはアメリカです。

当時アメリカはソ連と冷戦真っただ中で、宇宙開発でも対抗していました。そんな中でアメリカが月に送ったアポロ11号が見事月面着陸に成功し、その際に持ち帰った「月の石」が大阪万博で展示されたため、来場者のほとんどが「月の石」を見ようとアメリカ館に集中したのでした。

大阪万博のあった1970年は冷戦下であったこともあり、アメリカとソ連のパビリオンが1位と2位を争う人気でしたが、意外なことに東南アジアやアフリカなどの小国が集まった国際共同館というパビリオンも大人気でした。

国際共同館とは、独立したパビリオンを持てない小国が、アパート式に展示をしているパビリオンです。大阪万博以前の万博にも国際共同館はありましたが、不人気だったため「大阪でも駄目なんじゃないか」と心配されていました。

ですが、いざ開催してみると

「人気のパビリオンは並ぶから嫌だ」

「聞いた事のない国の展示を見てみたい」

「せっかくの万博だから全部見たい」

などの理由から、日本人来場者はこぞって国際共同館を見に行きました。

現在のディズニーランドでも同じことが言えますが、日本人はこのような大きなイベントやテーマパークに行くと、すべての展示やアトラクションを見たがりますね。このような日本人特有の性質により、マイナーな国も注目される珍しい万博博覧会になったのでした。

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4)時代を先取り!大阪万博に自動翻訳機が展示される……はずだった

大阪万博は、敗戦からとてつもない速さで復興し経済成長を遂げた日本の、いわば総仕上げのようなものでした。科学技術などの最先端の発明品が披露されましたが、その中で実際には展示されなかったけど21世紀の現代から見ると、時代を先取りしすぎている!と感じるものもあります。

科学技術庁が開発提案した「自動電子翻訳機」です。これはどんなものかと言うと、日本語で話しかけると機械が勝手に翻訳して、外国語の自動音声が流れるというものです。逆に外国語で話しかけて日本語に翻訳してもらう……なんてことも可能です。

開幕準備中は、これを「話し合いの広場」に設置して来場者が自由に使って外国人客とコミュニケーションを取るのに役立ててもらおうという計画でした。

しかし、通産省は「あと二年で開幕なのに短期間で完成させられるのか」「ショーにならない」「誤訳したらお客様に迷惑がかかる」などの理由で、科学技術庁と対立し結局展示には至りませんでした。

似たようなものが、現在ではスマートフォンで使うことができますね。もしこれが70年代に開発されていたら、世界の歴史は変わっていたかもしれません。

5)万博土産の一番人気は「記念メダル」

ディズニーランドに行くと、女の子たちはこぞって期間限定パッケージのクッキー缶などのお土産スイーツを買い漁ります。現代ではテーマパークに行った際のお土産品は、お菓子や地元の名物料理が喜ばれますが、70年の大阪万博では違いました。

大阪万博の一番人気のお土産は「記念メダル」でした。次に「絵はがき」「海外の民芸品」「タペストリー」「切手」です。

「記念メダル」はオリンピックなどでも作られますね。郷里の親戚や友人にあげるためというよりも、記念品として自分用に購入したお土産のように思えます。

来場者のほとんどが「記念メダル」を買って帰るほどの人気で、偽物を作って販売する悪党も出現しました。中にはただのボール紙でコインを作って人に売りつけようとした人もいたとか。なんとも手抜きな詐欺師です。

次点の「海外の民芸品」ですが、当時の日本では外国の民芸品、お菓子などはあまり輸入しておらず、庶民にとってとても珍しいものでした。万博のお土産ということもあり、かなり高額だったと考えられますが、買っていく人は後を絶たなかったようです。

販売されていた品物は、ブルガリアのバラジャム、インドネシアのアクセサリやスカーフ、象牙の置物、外国ブランドの香水など……多種多様なものばかりでした。しかし、中には日本のデパートから仕入れたものもあったとか……。アメリカの「テンガロンハット」は子供に人気があり、様々な材質の物が販売されていました。

大阪万博まとめ

1970年9月に閉会した大阪万博は、来場者数6400万人を記録し、20世紀に開かれた万博で最多の来場者数を記録しました。この記録は2010年上海万博の時まで破られず、現在も歴代2位を誇っています(上海万博は7300万人)。

これほどまでに大阪万博が大成功したのには、大阪という立地の良さ、泥沼の太平洋戦争で敗戦し、そこから急成長を遂げた日本人の大和魂があったからでしょう。

しかしそれ以上に、昭和という時代にはまだ未来を夢見る気持ちや、未来はどんなものだろうと期待する気持ちが世界中に溢れていたから、たくさんの人々が大阪万博に足を運んだのだと思います。

21世紀の現在はいつでもどこでもインターネットで何でも知ることができ、見ることができますので、未来への夢が薄れているように感じます。昭和は戦争があり暗い時代でしたが、だからこそ人々は大阪万博を通して明るい未来を夢見たのかもしれません。

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