紀伊山地の霊場と参詣道 日本の世界遺産観光

Contents

世界遺産_紀伊山地の霊場と参詣道

1.登録基準

紀伊山地は世界遺産リストに「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」という名前で登録されています。

世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示される登録基準の内、少なくとも1つ以上の基準に合致する必要があります。

紀伊山地の霊場と参詣道は登録基準ⅱ、ⅲ、ⅳ、ⅵを満たし、世界遺産リストに登録されました。

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基準 ⅱ. (人類の価値観の交流があったことを示すもの)の適用について

紀伊山地の文化的景観を形づくる遺跡群は、神道と仏教が融合した独特の景観を持っています。これは紀伊山地の深い山々に残る自然と数々の寺院、神社などから見て取れます。この景観は日本古来の自然崇拝の考え方と大陸渡来の仏教の融合を表しており、東アジアの宗教の交流を示しています。この点が基準ⅱ.に該当するとして、評価されました。
 

基準 ⅲ. (文化や文明を証明する珍しい証拠となるもの)の適用について

紀伊山地の神社と寺院、そしてそれらに関連する儀式は日本の1000年以上の宗教文化の発展を証明する特別なものです。紀伊山地の遺跡群には今は失われてしまった宗教関連の考古学的遺跡が多くありますが、それらの遺跡では宗教儀礼という形で今なお伝統が残っています。これらは失われた伝統と現存する伝統の複合したあり方を示す稀有な例です。この点が基準ⅲ.に該当するとして、評価されました。

基準 ⅳ. (時代を表す建築物や景観の見本となるもの) の適用について

紀伊山地の神社寺院の建築様式は、日本各地の神社仏閣様式の礎となっています。例えば熊野神社の三山には他に類例を見ない独特の様式があり、それが全国の熊野神社の規範となっています。この点が基準ⅳ.に該当するとして、評価されました。

基準 ⅵ. (大きな出来事、伝統、宗教などと深い関わりのあるもの)の適用について

紀伊山地の森林地帯と森林風景は1200年以上続く神聖な山々の伝統をよく示しています。例えば、「山伏(やまぶし)」による修行や一般の人々による参詣が古来より今まで続いていることは、日本国民の精神の中にこの資産が文化として根付いていることを示しています。この点が基準ⅵ.に該当するとして、評価されました。

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2.遺産価値総論

紀伊山地の霊場と参詣道の遺産価値は「自然と宗教が融合した独特な景観」です。ポイントに分けて説明します。

(1)日本初の文化的景観

文化的景観とは人間と自然との相互作用によって生み出された景観を言います。世界遺産では1992年に「世界遺産条約履行のための作業指針」の中に、文化的景観の概念が盛り込まれています。「紀伊山地の霊場と参詣道」においてはその構成資産が見事に自然と融合しており、日本で初めて「文化的景観」として登録された世界遺産です。

(2)古代から続く自然崇拝

紀伊山地は標高1000~2000mの山脈が連なり、年間3000mmを越える雨が降るために非常に深い森林を形成しています。このような環境から、この地では古来より自然崇拝の精神が育まれてきました。中でも「吉野」、「熊野」の名前は神話の中に登場するほど昔から存在しており、当時から人々の信仰の対象となっていました。現代に至ってもその信仰は途切れることはなく、多くの参詣者が訪れる聖地です。このように遥か古代から現代まで連綿と信仰が続いている資産は極めて貴重です。

(3)日本の宗教発展の歴史

紀伊山地には日本国内の宗教発展の歴史が詰まっています。まずは前述の自然崇拝の思想、これは神道(しんとう)とも呼ばれ日本固有の考え方です。その後、仏教が伝わると、その神道と仏教が融合し、「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という考え方が生まれます。紀伊山地はその聖地として多くの信仰を集めました。その後、これも日本古来の思想である山岳信仰に、中国から伝わった道教(どうきょう)の神仙思想(しんせんしそう)が融合し、修験道(しゅげんどう)という日本独自の宗教が生まれます。これは紀伊山地が発祥とされ、特に大峯(おおみね)は修験道の聖地とされています。

このように紀伊山地は日本の宗教発展の中心地として栄え、そこに残る遺跡群は現在にまでその歴史を伝えています。

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3.歴史

(1)古代(古墳時代以前)

・古代の神話に「吉野」「熊野」が登場
・構成資産である以下の神社で祭祀が起こる
「吉野・大峯」
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)、金峯神社(きんぷじんじゃ)
「熊野三山」
熊野速玉神社(くまのはやたまじんじゃ)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
「高野山」
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
上記のようにかなり昔から、吉野や熊野が神聖視されていたことがわかります。

(2)仏教伝来(538)

大陸から日本へ仏教が伝来します。その後、仏教が国内に広まると、紀伊山地は仏教の山岳修行の場となります。こうして紀伊山地では仏教も栄えることになりました。

(3)密教(天台宗、真言宗)伝来(9世紀前半)

最澄、空海によって天台宗、真言宗が日本に伝えられます。
紀伊山地の3霊場の一つである高野山は真言宗の根本道場です。真言宗を伝えた空海が開いた「金剛峯寺」があり、空海に対する信仰の聖地となりました。

(4)「神仏習合」思想 広まる(9~10世紀)

「日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものである」という日本固有の「神仏習合」思想が拡がります。紀伊山地、特に熊野三山はその聖地として広く信仰を集めました。

(5)「修験道」成立(10~11世紀)

前述の通り、中国から伝わった道教の神仙思想が日本古来の山岳信仰と融合し、修験道という宗教が生まれ、国内に広がります。中でも大峯は修験道の聖地とされ、多くの修行者が訪れました。

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4.構成資産の概要

(1)霊場「吉野・大峯」

吉野・大峯は紀伊山地の修験道の聖地です。
場所は紀伊山地の最北端に位置し、三霊場の中でも最も北に位置しています。大峰山脈のうち青根ヶ峯以北を「吉野」、以南を「大峯」と呼びます。「吉野」は水や金などの重要な資源を産出する山「金峯山(きんぷさん)」を中心とする地域、「大峯」は主に山岳修業の場となった地域です。
修験道の中心的聖地として、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになりました。日本中から多くの修験者が訪れ、「吉野・大峯」を規範として、全国各地に山岳霊場が形成されていきました。
「吉野・大峰」地域の構成資産は以下の6カ所です。

①吉野山(よしのやま)

大峰山脈の北端部に当たる場所です。修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が修行中に桜の木に蔵王権現(ざおうごんげん)を彫り込んだという伝承があります。そのため、信者が桜の木を神木として寄進するという宗教行為が始まり、その結果「千本桜」と呼ばれる見事な文化的景観が形成されています。

②吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)

古代の分水嶺に対する信仰を祭祀の起源とする神社で、俗に子守神社とも呼ばれています。古いものでは698年に降雨祈願がされた記録が残っています。
社殿は本殿・拝殿・幣殿・楼門・回廊からなり、1605年に豊臣秀吉の意志を継いだ秀頼によって再建されたものです。

③金峯神社(きんぷじんじゃ)

吉野山の最奥に建つ神社です。祭神は金峯山の地主神(じぬしがみ)である「金山毘古神(かなやまびこのかみ)」で、起源は金などの鉱物信仰とされています。
修験道の修行に使用する四つの門の内の第二門「修行門(しゅぎょうもん)」にあたる鳥居が建てられており、当時は重要な拠点とされていました。文献上の初出は852年です。

④金峯山寺(きんぷせんじ)

金峯山寺は修験道の中心寺院で、平安時代中期以降多くの信仰を集めてきた寺院です。山上ヶ岳の大峰山寺の本堂を「山上蔵王堂」と呼ぶのに対し、金峯山寺の本堂は「山下蔵王堂」と呼ばれていました。現存する建物は、蔵王権現の巨像三体を安置する高さ34mの本堂、本堂の北に立つ高さ20mの仁王門(におうもん)、修験道の四つの門の内の第一門「発心門(ほっしんもん)」である銅鳥居(かねのとりい)などです。本堂では毎年4月に本尊に桜花を備えて人間の罪を懺悔する伝統的な儀式「花供懺法会(はなくせんぽうえ)」が開かれています。

⑤吉水神社(よしみずじんじゃ)

もとは金峯山寺の僧房でしたが、神仏分離令によって神社となった建物です。源義経が吉野潜伏の際に潜んだ場所とされ、南北朝時代には後醍醐天皇が一時期行在所としていたことでも知られています。

⑥大峰山寺(おおみねさんじ)

山上ヶ岳の頂上にある修験道の聖地の中でもとりわけ重要とされる寺院です。役行者の誓願に応じて蔵王権現が出現したと伝えられる霊地に建ち、本堂は「山上蔵王堂」と呼ばれています。修験道の四つの門の内、第三第四の「等覚門」、「妙覚門」が置かれています。厳しい自然環境を考慮して建てられており、柱が太いわりに屋根が低いなど高山に建てられた建造物としては他に類例のない貴重な遺構です。

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(2)霊場「熊野三山」

熊野三山は神仏習合の形態をよく保った資産です。
紀伊山地の南東部に位置し、相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)」、「熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)」、「熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)」の三つの神社と「青岸渡寺(せいがんとじ)」及び「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」の二つの寺院からなっています。もともと三つの神社は個別に自然崇拝の起源を持っていたと考えられていますが、10世紀後半に他の二社の主祭神を祀り合うようになりました。神仏習合の影響により、それぞれの祭神は「阿弥陀如来」、「薬師如来」、「千手観音」が姿を変えたものとされ、「熊野三山」あるいは「熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)」として多くの人々、特に皇族・貴族の崇敬を集めるようになりました。中でも後白河上皇は熊野詣に熱心で34回もの熊野詣を行いました。熊野那智大社と一体となっている「青岸渡寺」と「補陀落山寺」は神仏習合の形態をよく表しています。構成資産は以下の7つです。

①熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

かつて「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」と呼ばれた神社で、記録の上では859年に初めて現れています。1889年に洪水により流出してしまいましたが、1891年に移築・再建され今の箇所に建っています。

②熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)

熊野速玉大社には、古代の神話に登場する「天磐楯(あまのいわたて)」とみなされる「権現山(ごんげんやま)」、その中腹には祭神を祀る「神倉神社(かみくらじんじゃ)」があります。この祭神のご神体となった巨岩(ゴトビキ岩)の周辺からは3世紀のものとされる銅鐸や12世紀を中心とする経塚が多数発見されています。また、神倉神社で熾(おこ)した神火を松明に移し山を駆け降りる「熊野御燈祭(くまのおとうまつり)」は原始信仰を受け継ぐ祭礼として和歌山県の無形民俗文化財に指定されています。また、神社には平清盛が植えたとされる樹齢800年のナギも存在しています。

③熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)

那智大滝(なちのおおたき)に対する自然崇拝を祭祀の起源とする神社です。滝を表す高さ6mの細長い神輿を松明の炎で浄める「那智の火祭」は和歌山県の無形民俗文化財に指定されています。

④青岸渡寺(せいがんとじ)

5世紀前半に創立されたとされている寺院です。熊野那智大社と併せて熊野三山の神仏習合時代の姿を今に伝える唯一の事例です。「西国三十三所観音霊場巡礼(さいごくさんじゅうさんしょかんのんじゅんれい)」の第1番札所となっています。

⑤那智大滝(なちのおおたき)

那智山の森林を水源とする高さ133m幅13mの日本一の滝で、熊野那智大社、青岸渡寺の信仰の対象です。紀伊山地の霊場と参詣道の文化的景観の重要な構成要素となっています。

⑥那智原始林(なちげんしりん)

那智大滝の東部に広がる約32haの照葉樹林です。古くから熊野那智大社の神域として保存され、自然信仰に関連する文化的景観の典型と言えます。

⑦補陀洛山寺(ふだらくさんじ)

那智大滝から約6km下った先の海岸近くにある寺院です。南の洋上にあるとされる極楽浄土を目指して小舟で向かう「補陀落渡海(ふだらくとかい)」が試みられた場所です。

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(3)霊場「高野山」

高野山は真言密教の根本道場です。
標高800mの山上盆地にあり、空海の創建した金剛峯寺(こんごうぶじ)が中心となっています。「八葉(はちよう)の峰」と呼ばれる峰々に囲まれた特殊な地形をしているのですが、この地形は極楽浄土の象徴である蓮の花に見立てられ神聖視されてきました。真言密教の曼陀羅図のように配置された伽藍は壇上伽藍(だんじょうがらん)と呼ばれています。
構成資産は以下の4つでそれぞれが「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」によって結ばれています。

①丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

古来より高野山の鎮守社として密接な関係を保ち、高野山を含む紀伊山地北西部一帯の地主神を祀る神社です。金剛峯寺創建後は金剛峯寺の鎮守として勧請されました。文献の上では855年に現れていますが、祭祀の起源は更に古いとされています。

②金剛峯寺(こんごうぶじ)

816年の空海による創建以来、真言密教の根本道場として信仰を集めてきた寺院です。高野山上には今も117もの寺院が密集しています。伽藍地区(がらんちく)、奥院地区(おくのいんちく)、大門地区(だいもんちく)、金剛三昧院地区(こんごうさんまいいんちく)、徳川家霊台地区(とくがわけれいだいちく)、本山地区(ほんざんちく)の6地区から成っています。

③慈尊院(じそんいん)

金剛峯寺の建設と運営の便を図るために、高野山を北へ20km下った場所に創建された寺院です。この場所は参詣道「高野山町石道」の登り口でもあり、参詣者が一時滞在するところともなって信仰を集めてきました。また、女人禁制の金剛峯寺の代わりに慈尊院を参拝する女性もおり、「女人高野」とも呼ばれていました。

④丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)

慈尊院の南の高台に位置する神社です。金剛峯寺の荘園であった官省符荘の鎮守として丹生・高野の2明神を祀っていました。後に厳島・気比の2神を合祀し、「四所明神」を祀るようになりました。

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(4)参詣道

参詣道は紀伊山地の三霊場を相互に結ぶ「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」「熊野参詣道(くまのさんけいみち)」「高野山町石道(こうやさんちょういしみち)」の3つの参詣道です。参詣道は道幅のほとんどが1m前後と狭く、険しい経路が設定されてもいました。また口にする食物や行為を自ら制限するなど心身を清浄に保つ必要があり、人間が神域に入るための修行の場となっていました。

道の多くは地道で今日まで良好な状態を保っており、山岳・森林と一体となった文化的景観を形成しています。

①大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)

大峯奥駈道は霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を南北に結ぶ約80kmの道です。標高千数百メートルの山々の主稜線を踏破するように拓かれており、修験道の修行である奥駈を行うための修行の道とされています。

途中にある天然記念物の仏経嶽原始林(ぶっきょうがたけげんしりん)とオオヤマレンゲ自生地、重要文化財の玉置神社(たまきじんじゃ)もこの道に含まれています。

②熊野参詣道(くまのさんけいみち)

熊野参詣道は別名・熊野古道(くまのこどう)とも呼ばれています。この道は大まかに以下の4つに分かれます。

ⅰ)中辺路(なかへち)
中辺路は紀伊半島西岸(紀伊路)を経て、紀伊田辺から山中に入り熊野三山を結ぶ道です。最も頻繁に使われていた参詣道です。

ⅱ)小辺路(こへち)
小辺路は「高野山」と「熊野三山」を結ぶ道です。途中標高1000m以上の峠を三度も越える熊野参詣道の中で最も険しい道です。

ⅲ)大辺路(おおへち)
大辺路は紀伊半島西岸(紀伊路)を経て、紀伊田辺から海岸線沿いに進み、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)までを結ぶ道です。中辺路に比べると距離が長い道です。

ⅳ)伊勢路(いせじ)
伊勢路は伊勢神宮と熊野三山を結ぶ道です。主に東国から熊野三山を目指す参拝者が歩いた道です。途中の「花の窟(いわや)」から海岸沿いに熊野速玉神社へ向かう七里御浜道(しちりみはまみち)と、内陸部を熊野本宮大社へ向かう「本宮堂(ほんぐうどう)」に分岐します。

③高野山町石道(こうやさんちょういしみち)

(高野参詣道(こうやさんけいみち))
高野山町石道(高野参詣道とも言う)は慈尊院から高野山の奥の院までを結ぶ道です。慈尊院から壇上伽藍まで約20km、壇上伽藍から奥の院まで約4kmの計24kmの道です。

[参考書籍]

すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)

すべてがわかる世界遺産大辞典(上)(世界遺産検定事務局)

[参考HP] UNESCO World Heritage centre 
https://whc.unesco.org/en/list/1142

世界遺産一覧表記載推薦提案書(文化庁)
http://bunka.nii.ac.jp/suisensyo/kiisanchi/start-j.html

Wikipedia 紀伊山地の霊場と参詣道
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%B1%B1%E5%9C%B0%E3%81%AE%E9%9C%8A%E5%A0%B4%E3%81%A8%E5%8F%82%E8%A9%A3%E9%81%93

Wikipedia 文化的景観
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9A%84%E6%99%AF%E8%A6%B3

和歌山県世界遺産センター
http://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/gaiyou.html
http://www.sekaiisan-wakayama.jp/know/history.html

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