京都散策 おすすめコース 東山七条観光 三十三間堂~法住寺~養源院~方広寺~豊国神社~智積院~妙法院~国立京都博物館~グルメまで

東山七条観光 京都散策おすすめコース 三十三間堂、法住寺、養源院、方広寺、豊国神社、智積院、妙法院、国立京都博物館、グルメ

京都タワーに登ったことはあるだろうか?「何を今さら」と思う人も多いかもしれないが、山々で囲まれ意外と狭い京都を俯瞰するにはちょうど良い場所と高さだ。

タワーの展望室から東を臨むと赤レンガの洋風建物が見えてくる。国立京都博物館だ。1897(明治30)年に帝国京都博物館本館として開館し120年以上が経つ堂々たる重要文化財だ。設計はお雇い外国人ジョサイアコンドルに師事した片山東熊(かたやまとうくま)。赤坂迎賓館を設計した人である。

東山区東山通り七条に位置するこの国立京都博物館は地元では「京博(きょうはく)」と親しまれている。京博を中心に半径400メートル以内には歴史ある寺社が多く集まっている。徒歩で廻れるのでお勧めのエリアだ。

三十三間堂、法住寺(ほうじゅうじ)、養源院(ようげんいん)、方広寺(ほうこうじ)、豊国神社(とよくにじんじゃ)、智積院(ちしゃくいん)、妙法院(みょうほういん)、国立京都博物館。一日かけてたっぷりと楽しむことができる。廻る順序はお好みで結構なのでひとつずつ紹介していこう。

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三十三間堂

三十三間堂。正式名称は蓮華王院(れんげおういん)。京都を代表する観光名所の一つだ。天台宗妙法院の飛び地境内である。拝観料600円。

ずらりと並んだ1001体の十一面千手観音立像には言葉を失うほどの荘厳さを感じる。他にも二十八部衆、風神・雷神などの優れた仏像の他、建物自体も国宝、見どころはとても書ききれないほどである。

本堂は東西に約22㍍だが南北には約120㍍、夏目漱石が「日は永し 三十三間長し」と詠んだのもうなずけるほどの長さを誇る。

三十三間堂と言う名前は観音菩薩が人々を救うために33の姿に変化する事に因むとも、お堂の中の柱間の数が33あるからとも言われる。内部は夏は涼しく冬は意外と底冷えがしない。また雨天でもたっぷり楽しめるのでお勧めの寺院の一つだ。

整然と並んだ千手観音菩薩に目を奪われがちだが、手前に並んだ二十八部衆も凄い。二十八部衆とは観音菩薩の使いで眷属とも呼ばれる仏様のことだ。毘沙門天、帝釈天、阿修羅王など聞いたことのある仏様が勢揃いしている。皆、二十八部衆のメンバーだったのだ。

金色に輝く観音菩薩に比べると彩色もほとんど剥落していて木肌がむき出しなので地味な印象だが、一つひとつが仏教彫刻の傑作で全てが国宝に指定されている。作者は分かっていないが、ご本尊を作った湛慶につながる慶派の仏師によるものと推察される。どれも素晴らしいが中でも迦楼羅王(かるらおう)は鳥の頭に翼を持つ人身で横笛を吹く姿がとても印象的だ。

そして両端にあるのが風神と雷神の木像だ。後で触れる俵屋宗達の代表作、国宝「風神雷神図屏風」(京都国立博物館所蔵)のモデルになったという説もあり、迫力満点だ。三十三間堂は仏教美術の宝庫、たっぷり楽しんで鑑賞して欲しい。

毎年成人の日に開催される「大的大会(おおまとたいかい)」は振袖姿の新成人が矢を射る姿で有名だが、江戸時代には実際に軒下で「通し矢(とおしや)」という競技が行われていた。100メートル以上先の的に一日に何本命中させるかを競っていたそうだ。

同日、本堂では「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」という仏事が行われている。「楊枝浄水供(やなぎじょうすいく)」とも呼ばれ聖なる樹とされる楊枝(やなぎ)で聖水を頭に振りかけ、諸病を除くご利益があり特に頭痛に効くという。

この仏事には平安時代の後白河上皇の時代の伝説があることをご存じだろうか。伝説とはこうだ。

後白河上皇は以前より頭痛に悩まされていた。ある日夢のお告げで「熊野の岩田川の底に上皇の前世である蓮華坊という僧侶の頭蓋骨が沈んでいて、頭蓋骨を貫くように柳の木が生えている。風で柳の枝が揺れるたびに頭痛がするのだ」と聞き、調べさせたところ実際に川底から頭蓋骨が見つかり柳の木も生えていたという。その柳の木を梁に使って建てられたのが僧侶の名を取って「蓮華王院」つまり三十三間堂である。

掘り出された頭蓋骨は観音菩薩の胎内に納められたと伝わる。

観音様は現世利益をもたらすありがたい仏様として広く信仰されているが、後白河上皇の頭痛も観音様のご利益で快癒したのだとか。後白河上皇にあやかって行われるようになった「楊枝の加持」、毎年本堂は善男善女で賑わう。実際には柳の木はしなやかで建材としては相応しくない上、現在の三十三間堂の主な建材はヒノキである。しかし古来より柳の葉には鎮痛作用があるとされていたので、現世利益を願う人々の篤い信仰を集めた。

さらに伝説をアレンジして創作されたのが義太夫節「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」である。後白河上皇の時代より600年以上経ってから創作されたのだが、この伝説が長く語り継がれていたことが分かる。1825(文政8)年人形浄瑠璃として初演された。

粗筋は三十三間堂建設のために切り倒される柳の精お柳(りゅう)と人間平太郎との恋物語である。相当な人気を博したと伝わり、その後歌舞伎でも上演されることになった。機会があれば鑑賞して欲しい。

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法住寺

では次に隣の法住寺をご紹介しよう。

創建は989(永祚元)年だが後に後白河上皇が住まいする新御所が建立されたのが1161(応保元)年、天台宗の寺院である。法皇が住むから法住寺と名付けられた。

江戸時代には忠臣蔵で有名な大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が堂内にある「身代わり不動尊」に祈願したことでも有名で、毎年12月14日には赤穂事件で命を落とした四十七士を弔う「義士会法要(ぎしえほうよう)」が執り行われる。

境内では素朴で関東風な討ち入りそばが提供され、茶席もあり、一日中賑わっている。また毎月28日は不動明王のご縁日なので護摩を焚いた後にご住職の法話を拝聴できる。

普段は写経を体験でき、拝観料と納経料合わせて1500円。敷地に隣接して現在宮内庁が管理する「法住寺陵」があり後白河法皇が静かに眠っている。

養源院

隣には養源院がある。拝観料500円。浄土真宗の寺院であり、秀吉の側室であった淀君が父、浅井長政の菩提を弔うために建立した寺院だ。

後に淀君の妹で徳川秀忠に嫁いだ崇源院(すうげんいん(江与(えよ))が伽藍を整え将軍家の位牌所、さらには皇室の祈願所となった。崇源院の娘、徳川和子(とくがわまさこ)が後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に嫁ぎ明正天皇の母となったためと考えられる。

天皇家、徳川家、浅井家との縁の深いこの寺院には美術品が多い。国宝「風神雷神図屛風」で有名な俵屋宗達(たわらやそうたつ)の傑作「白像図」「波に麒麟図」「唐獅子図」は杉戸絵といい、杉板に直接描かれたもの。客殿障壁画「松図」は松と岩を豪快に描いている。これら全て重要文化財である。

俵屋宗達は江戸時代の人で生没年も来歴も全く不明な謎の絵師だ。これだけたくさんの作品をいつでも見学できるのは京都でも養源院だけだ。

もう一つ養源院で見逃してはならないのが「血天井」。伏見城落城の際に鳥居元忠(とりいもとただ)らが自刃した廊下の床板を天井に用いその霊を弔ったものとされる。京都には同様の血天井が正伝寺、宝泉院、源光庵など他にも数か所あるので興味のある人は巡ってみてはいかがだろう。

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方広寺

方広寺を紹介しよう。七条通りを北へ渡ると信号のある角に東山警察署大仏前交番がある。

「大仏」とは?ご存じの方も多いだろうが、かつて京都には奈良の大仏を凌ぐ巨大な大仏があった。豊臣秀吉は後白河法皇の絶大な権力に憧れていたという。ゆかりの三十三間堂をも敷地に取り込み建立したのが方広寺だ。

秀吉が作った大仏は地震で倒れ、雷に打たれ、火事で焼けその度に再建されてきたが、1973(昭和48)年に火事で焼失した後は再建されることなく現在に至る。

交番に郵便局に大仏の名前が残るのもつい数十年前まで存在していたからなのだ。秀吉は大仏の開眼供養に千人もの僧侶を呼び寄せ「千僧供養」を盛大に行った。この千人もの僧侶たちに食事を提供するために作られたのが後述する妙法院の庫裏(くり)だ。

さて方広寺には大仏の他に歴史上有名な「方広寺鐘銘事件」がある。豊臣家滅亡につながる事件だ。

二代目の大仏の開眼法要直前に徳川家から鐘の銘文について「国家安康 君臣豊楽」と刻まれていたのでいちゃもんが付き、大阪冬の陣のきっかけになった。現在もその鐘(重要文化財)は残りいつでも無料で見学できる。

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豊国神社

では隣の豊臣秀吉を祀る豊国神社(とよくにじんじゃ)を紹介しよう。

境内は自由に見学できるが宝物館は300円。豊臣秀吉が亡くなり朝廷より「豊国大明神」の神号を賜ったことで秀吉の霊廟阿弥陀が峯の中腹に創建された神社だ。現在の社殿は明治期に再建された。立派な石垣が国の史跡に指定されている。

華麗な装飾が美しい唐門は国宝で伏見城から移築されたものと伝わる。秀吉にあやかり立身出世・開運のご利益があるとされ、瓢箪型の絵馬の奉納が絶えない。

智積院

大仏前交番から七条通りを東へ上ると智積院(ちしゃくいん)に突き当たる。拝観料500円。

元は豊臣秀吉の長男鶴松を供養するために建てられた祥雲禅寺(しょううんぜんじ)だった。紆余曲折を経て現在は真言宗智山派(ちさんは)の総本山となっている。

長谷川等伯と息子久蔵が描いた国宝「桜楓図(さくらかえでず)」は祥雲禅寺から伝わったものだ。智積院は庭園の美しさも見事。数々のCM撮影も行われている。

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妙法院

隣の妙法院を紹介しよう。境内はいつでも無料で見学できるが諸堂は年に数回の特別公開の時しか入れないのが残念。ご本尊は京都でも珍しく普賢菩薩。代々皇族が住職を務めた格式高い天台宗の門跡寺院である。

庫裏(くり)とは寺院の台所だがここは京都で唯一国宝に指定されている。前述した方広寺の大仏開眼供養の「千僧供養」の祭、千人の僧侶のために食事を用意したのがここだ。

巨大な厨房は独特の外観を持つ。寺宝は国宝「ポルトガル国印度副王信書」という秀吉宛ての手紙など。

国立京都博物館

最後に国立京都博物館だ。明治古都館と平成知新館と茶室があり、特別展などには長蛇の列ができるが通常は静かに常設展を見学できる。展示の入れ替えなどで休館の場合もあるので事前にチェックしよう。

茶室は一般に開放されており、事前に申請すれば茶会を催すことができるというのも京都らしい。庭園は野外展示も見応えがあるので、お見逃しなく。月曜休館。入館料は展示によって異なる。

東山七条 グルメ

七条通りを西へ向かって下っていけば右側に大きなわらじがぶら下がった店が見えてくる。暖簾には「うぞふすい」と書かれている。ここは「わらじや」という「鰻雑炊」専門店だ。メニューはなく「うぞうすいコース」のみ。少々お高いが豊臣秀吉がわらじを脱いで一服したことが店名の由来と聞けば興味が湧いてくる。味は絶品だ。

隣には「七條甘春堂」という和菓子店がある。和菓子作り体験ができるので挑戦してみてはいかがだろうか。(要予約)

東山七条界隈には後白河上皇と豊臣秀吉に関わりの深い寺院が密集しているのがお分かりいただけただろうか。歴史に興味がなくても見応えのある所ばかりなので是非訪ねてみて欲しい。

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